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2015年5月30日土曜日

灘区の東灘をぐるぐると

夕暮れが近づきつつある阪神岩屋駅.
昔は向こうに見える階段が出入り口だったようです.


階段から見たところ.以前は島式1面2線でしたが,2001年に右側をえぐるように新しいホーム(梅田方面)が作られています.
奥が三宮方です.この駅から向こう,西側は1933年に開業した地下線区間(岩屋-三宮)です.現在は神戸高速鉄道を経由し山陽板宿駅過ぎまで地下区間が続きます.

では付近をぶらぶら行きますかにゃ.

とさっそくかわいい猫様が登場! おひかえにゃすって!! ラブリーです.

さらににゃにやら視線を感じて目をやると,

ゆったりと寛がれていらっしゃいましたにゃ.


緑の葉に覆われつつある六甲ビル.

公園に車止めのようなものを発見.

そうここは灘の高橋(タカバシ)として有名だったポイント.でも何やら橋は低くなってる気がしますがにゃ.
橋の向こうにそびえるマンション群は旧東灘駅敷地に建っています.

明治40(1907)年,灘信号所(後に灘駅,東灘駅,東灘操車場,現 東灘信号所)から小野浜駅(後に神戸港駅,2003廃止)にかけて神戸臨港線のレールが敷かれました.タカバシもその時に設けられました.

2003年までこの橋の下を東灘信号所で分岐した神戸臨港線が神戸港駅まで通っていたのです.

橋の下を線路が通っていた頃の姿.
「灘のうつりかわり」灘区勢振興会(1993)より


「大陸連絡列車もくぐった?! 灘のタカバシ」


タカバシを見下ろしたところ.線路跡の延長上に細長いマンションがあるのがわかるでしょうか.西方の神戸港駅方向を見たところです.
線路跡が見えるようです.見えますよねっっっw


東海道本線を越える灘橋.昭和30(1955)年竣工.

赤白のクレーンが見えるところに新駅(仮称 まや駅)を建設中です.さらに向こう2棟の高層ビルのあるあたりが六甲道駅です.

灘区を東西にぶった切って貫く大動脈,東海道線.

灘橋を渡って線路の北側を東進します.

灘区西部を流れる西郷川.

工事看板.

上が南です.右下が現在地.昔はこのあたりから本線をアンダーパスして神戸港駅へ向かう線路がありました.



もうその線路のあったところは埋められマンション建設工事が真っ盛りです.


なにかの残骸.なんでしょう?

新駅駅舎(仮称まや駅)が建築中です.


「川を美しく」 目を凝らせば読めるはずw

私が小学生の頃から目にする看板でした.
これはひょっとしてカニの泡に洗剤をかけてクリーンにってことだったんでしょうか.
私レベルの頭脳では理解に約40年かかりますw

お,欄干のようなものが.


地下道のようです.

階段を降りて山側を見ると,あの木が立っているのは稗田水神社です.



レンガ造りです.

これが,本線をアンダーパスする側線をささえていた橋台でしょうか.


上からみたところ.

東海道本線貨物支線(神戸港線)by 廃鉄の処女Ⅱ
http://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-11976344046.html
この記事の最初の写真が,2007年の同じところです.
比べると,だいぶ開削されて地下道が短くなっているのがわかります.

トンネル内部に入ってみましょう.


断面がアーチ状のレンガ造りです.

途中,真ん中あたりで断面形状がアーチでない部分が一部あります.鉄骨で補強してあります.


そしてすぐまたアーチ状になります.
その接合部分には御影石っぽいものが積まれています.昔はここが地下道の出口だったんでしょうか.

トンネルは人と水の流れをつないでいました.


浜側出口.こちらもトンネルが短くなったようで,削り取られたような断面形状です.


いかにも今風の完成写真.

新駅は島式1面2線の8両対応のホームです.普通電車のみ停車タイプ.
トラブル時の折り返し対応で12両編成の折り返し設備があります.


「開放禁止」



JR西日本 東灘信号所.ここが玄関のようです.



夕方になると電車がひっきりなしに走っていきます.

短いコンクリ柱も


架線柱が倒れないよう懸命に引っ張っております.


またしても地下道.


とうかい461架道橋.



浜側出口です.



都賀川です.灘区の中央部を流れます.

六甲のおいしい水が流れてきますw たらふく飲んでいいよww


鳥さんを手にした少女.

夕闇が迫ってくるとちょっと寂しげであります.


昔は神戸港駅から本線にあがってきた貨物列車が引き上げているスペースでした.

ここには昔機関車の転車台がありあました.もう背後,すぐ東は六甲道駅です.

すっかり日も暮れたので,今日はこの辺で.
ではまた.

2015/4に散歩

灘のヒクバシの巻 灘道中膝栗毛 by ナダタマ
橋が低くなったのではなく,軌道跡が埋められたそうです.

灘南赤トンネル【灘の細道 17】by ナダタマ
赤トンネルに秘められた記憶.

JR神戸線(灘駅-六甲道駅間)二煉瓦橋梁の刻印(神戸市灘区灘南通5丁目) by blog ちぎょらく
レンガの刻印で時代を考察されています.

東灘配線図 by 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

東灘操車場 1979/8/31 by 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに
転車台の写真が掲載されています.
転車台は1985年頃はまだあった記憶があります.

このあたりの出来事
1874 明治07 鉄道開通 大阪-神戸 現灘区内は単線で 駅なし
1894 明治27 複線化 西ノ宮-三ノ宮
1904 明治37 灘信号所開設
1905 明治38 阪神本線開業 大阪出入橋-神戸雲井通 岩屋駅開設
1907 明治40 神戸臨港線 灘信号所-小野浜(後の神戸港)開業 灘のタカバシできる
1910 明治43 灘駅(貨物駅)開設 灘信号所が駅に昇格
1917 大正06 灘駅(旅客駅)開設 灘(貨物)駅は東灘駅に改称
1920 大正09 阪急神戸線開業 神戸側の終点は上筒井
1926 昭和01 複々線化 歌島信号場-東灘
1927 昭和02 阪神国道電軌開業 野田-東神戸
1928 昭和03 神戸臨港線 小野浜-湊川開通 神戸市内高架化に備え客貨分離
1931 昭和06 神戸市内高架化 灘-鷹取 複線 三ノ宮駅現在地に移転
1933 昭和08 阪神神戸市内地下化 岩屋-三宮
1934 昭和09 吹田-須磨電化 六甲道駅,元町駅など開業
1936 昭和11 阪急 三宮高架乗入れ
1937 昭和12 複々線化 東灘-兵庫
1972 昭和47 東灘駅が東灘操車場となる
1981 昭和56 東灘操車場が東灘信号場となる
2003 平成15 神戸臨港線廃止 東灘-神戸港
2016 平成28 旅客駅化予定 仮称「まや駅」

1885(明治18)年ころの地図 「灘の歴史」神戸新聞出版センター(2013)

単線時代からレンガのトンネルは存在していたようです.浜辺の町から摩耶山天上寺への参道だったのですね.
複線化,臨港線開通,複々線化と東灘駅が大きくなるとともにトンネルも継ぎ足し継ぎ足し長くなっていったのでしょうか.


より大きな地図で sanpo rokko を表示

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